児玉源太郎はなぜ日露戦争で活躍できたのか?「人を動かす参謀」に学ぶ仕事術
日露戦争を語るとき、東郷平八郎や乃木希典の名前はよく知られている。 しかし、戦争全体を動かすうえで重要な役割を果たした人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいる。 その一人が、 児玉源太郎 である。 児玉は1852年に山口県で生まれ、戊辰戦争に参加した後、陸軍へ進んだ。 佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争などを経験し、その後は陸軍大学校校長、陸軍次官、台湾総督、陸軍大臣などを歴任している。日露戦争では満洲軍総参謀長として、大山巌満洲軍総司令官を補佐した。 国立国会図書館には、児玉本人の手記や書簡などを含む「児玉源太郎関係文書」が残されている。全362点の資料が所蔵され、そのうち296件がデジタル化されている。 では、児玉源太郎はなぜこれほど重要な役割を果たすことができたのだろうか。 私は、その理由を考えるとき、「自分が目立つことより、組織全体を動かすことを優先した人物だったから」という点に注目したい。 児玉源太郎は「司令官」ではなく「参謀」だった 児玉源太郎を理解するうえで、まず押さえておきたいのが役割である。 日露戦争において児玉は、満洲軍総参謀長として大山巌を補佐した。 つまり、軍全体の最高指揮官として前面に立つ人物ではなかった。 大山巌が満洲軍総司令官として全体を指揮し、その下で児玉が参謀として作戦や調整に関わった。 国立国会図書館の資料でも、児玉は「大山巌満洲軍総司令官を補佐」した人物として紹介されている。 ここに、児玉源太郎という人物の面白さがある。 世の中では、リーダーというと、 「自分が先頭に立つ人」 をイメージしがちだ。 しかし、大きな組織では、それだけでは足りない。 トップが判断できるように情報を整理する。 各部署の意見を調整する。 現場の問題を把握する。 必要ならトップに進言する。 そして、決まった方針を組織全体に浸透させる。 これも重要なリーダーシップである。 児玉の強みは「全体を見る力」だった 組織が大きくなるほど、一人ですべてを見ることはできなくなる。 例えば会社で考えてみる。 営業部門は売上を重視する。 経理部門はコストを重視する。 開発部門は品質を重視する。 現場は「そんなに簡単にはできない」と言う。 経営者は会社全体の利益を考えなければならない。 それぞれが間違っているわけではない。 しかし、それぞれの正しさが衝突することがある...