失敗したとき、誰の責任にするべきか?――個人を責める組織、仕組みを改善する組織
仕事をしていれば、失敗は避けられない。 予定していた納期に間に合わない。 顧客への連絡を忘れる。 発注する商品を間違える。 重要な情報を共有し忘れる。 新しい企画が思ったように成果を出さない。 こうした失敗が起きたとき、組織では必ず原因を探すことになる。 そして、最初に出てきやすいのが、 「誰がやったのか?」 という質問だ。 担当者を特定する。 責任者を決める。 場合によっては、始末書を書かせる。 しかし、ここで一つ考えてみたい。 失敗した人を特定することと、失敗の原因を解決することは同じなのだろうか。 もちろん、本人に責任がある場合もある。 故意にルールを破ったのであれば、責任を問う必要がある。 しかし、本人を処分しただけで、同じ失敗が二度と起こらなくなるとは限らない。 むしろ、 「なぜその失敗が起きたのか」 「なぜ途中で発見できなかったのか」 「同じことを別の人がやっても失敗しない仕組みになっているのか」 まで考えなければ、組織は変わらない。 今回は、歴史上の組織や失敗を題材にしながら、 「個人を責めること」と「仕組みを改善すること」の違い について考えてみたい。 失敗すると、なぜ「犯人探し」が始まるのか 失敗が起きると、人は原因を探したくなる。 そのとき最も簡単なのが、 「誰がやったのか」 を探すことだ。 担当者が分かれば、問題が解決したような気になる。 「○○さんの確認不足でした」 「担当者のミスでした」 「責任者の判断が間違っていました」 これで報告書は完成する。 しかし、本当に問題は解決したのだろうか。 例えば、担当者がメールの送信先を間違えたとする。 「担当者の確認不足」 と結論づけることは簡単だ。 しかし、そこで終わってはいけない。 なぜ確認不足が起きたのか。 一人で確認しなければならなかったのか。 重要なメールなのに送信前のチェック機能はなかったのか。 忙しい時間帯に作業させていなかったか。 そもそも、間違えても発見できない仕組みになっていなかったか。 こうした問題を考える必要がある。 「誰が悪いか」と「なぜ起きたか」は違う ここは非常に重要だ。 失敗を分析するとき、 「誰が悪かったのか」 という問いと、 「なぜ失敗が起きたのか」 という問いは違う。 前者は責任を明らかにするための問いだ。 後者は再発を防ぐための問いである。 組織にとって重要なのは...