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「日本的なモノ」が壊れた日本~市場原理主義が日本の原風景を壊す!?~

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このGWに、 京都に行ってきました。 せっかく足を運ぶので、 「友達と飲み歩いて楽しかった!」とか、 「観光名所がいいところだった!」など、 誰もが抱く感想だけではなく、(もちろんそれも大切) 「京都に暮らす人々の 〝生活の空気感〟 」を味わいたいなと思っていました。 そのために、 電車だけでなく、 より乗客と距離が近いバスを利用したり、 街並みを見るために、 あえて徒歩で移動したりしました。 そこで見えてきたことが、いくつかありました。 まず1つは、 バスに乗っていた時のこと。 あるご老人が、 なんと外国人観光客に英語で話しかけていました。 しかも、かなり気さくな感じで。 会話の内容は、たわいのないものでしたが、 それでも、すごい! 私にはできません。 「英語は話せないんだから」と 凝り固まっている自分が少し恥ずかしくなりました…。 そしてもう1つが、 タイトルにある通り、 「日本的なモノ」 についてです。 京都市内には、多くの商店街がありました。 商店街というと、 どうしても、 「寂れた、時代遅れのもの」 というイメージが付きまといます。 京都では、 場所によって若干の差はあるものの、 ある程度の賑わいがまだ存在していました。 「●●さん、おおきに。」 「最近、お宅の景気はどんなですか?」 こういった、お客さんや隣のお店の店主との会話を、 私は初めて実際に耳にしました。 なぜだかわかりませんが、 何となく、心が温まる思いでしたね。 そして、住宅街を見渡すと、 回覧板に加えて、防火用の水が入ったバケツが置いてある家がたくさん。 「あぁ、昔はこうした他の住民とのつながりが大切にされていたんだなぁ」と感じ、 少し大げさかもしれませんが、 〝地域社会の息遣い〟のようなものを感じることができました。 めでたし、めでたし…。 とはならず、 ある疑問が浮かびます。 それは、「そういった地域社会はなぜ壊れてしまったのか?」 ということです。 我が故郷では、すでに商店街は寂れてしまっています。