「日本にA級戦犯はいない」──国会決議が示した真実と、茶番劇に囚われる愚






■A級戦犯という言葉の呪縛

「A級戦犯」。
この言葉ほど、日本の戦後史に影を落とした言葉はないでしょう。


しかし、冷静に振り返れば、この「A級戦犯」という呼称は日本人が自ら定めたものではありません。


それは戦勝国による“政治的裁き”の産物であり、法律的な根拠を持つ「犯罪者」ではないのです。




■国会決議が示した「名誉回復」

1953年、そして1958年、日本の国会はこの問題について明確な意思を示しました。


戦犯とされた人々を「国内法上の犯罪者とは認めない」とし、彼らの名誉を回復する決議を採択したのです。


つまり、日本の法と国民の意思のもとでは、A級戦犯は存在しない
この一点を、まず確認しておく必要があります。


それでもなお「戦犯」「悪人」とのレッテルを貼り続けることは、日本自身が主権を放棄するに等しい行為です。




■外国による裁判という「政治ショー」

東京裁判(極東国際軍事裁判)は、法の名を借りた政治劇でした。
戦勝国が敗戦国を裁くという構図自体が、法の下の平等を否定しています。


裁かれる側には反論の自由がほとんどなく、証拠の多くは戦勝国が作った資料。
そして、裁く側の戦争責任は問われない。


これを公正な「裁判」と呼べるでしょうか?


むしろ、勝者による歴史の押し付け──つまり「茶番劇」であったと言わざるを得ません。




■「外の判決」に囚われることの愚かさ


それにもかかわらず、日本国内ではいまだに「A級戦犯」という言葉をめぐって対立が起こります。


靖国神社への参拝、歴史教科書の記述、政治家の発言――。


だが、考えてみてください。
外国による一方的な裁きを根拠に、日本人同士が争うことほど、虚しいことはありません。


その「判決」に従って日本人が日本人を責めることは、
自らの歴史を他国の価値観に委ねる行為です。




■歴史は「断罪」ではなく「理解」から始まる

戦争の悲劇を繰り返さないために、過去を見つめ直すことは必要です。
しかしそれは、誰かを永久に罪人として固定することではない


日本が歩んだ歴史を、他国のフィルターを通してではなく、
自分たちの目で、冷静に、そして誇りを持って見つめ直すこと。


それこそが、戦後80年を迎えた日本が今なすべきことではないでしょうか。




■結び──主権国家としての矜持を取り戻せ

日本はすでに、戦後の混乱と屈辱を乗り越えてきました。
にもかかわらず、いつまでも「A級戦犯」という他国のレッテルに縛られている。


それはもはや「戦後の続き」ではなく、「自虐の延長」です。


国会が決議で示したように、
日本にはA級戦犯はいない。あるのは、戦争を経て再び立ち上がった国民の歴史だけです。




📝まとめ

戦後の日本は「敗者の裁き」を受け入れることで平和を選びました。
しかし、平和とは「沈黙」ではなく、「自らの言葉で歴史を語る自由」でもあります。


私たちは今こそ、他国の定義に怯えることなく、
自国の歴史を、自国の視点で語る時を迎えているのです。



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