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メディアが果たすべき役割とは?~〝騒ぐ〟ことで流れを変える!?

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「2024年問題」というワードが昨年からメディアを賑わせています。(今はかなり下火かも) この問題は、物流業界にも残業時間の規制が適用されることで、「ドライバー」という仕事が稼げない職業になり、担い手が減ったり、長距離で物を運ぶ際には運転手を交代させる必要が生じたりと、これまでとは違い、物が当たり前に届かなくなってしまう危機のことです。 先日、とある運送会社の経営者と話す機会があり、24年度に入ってからの実状を聞いてみました。 恐らく、 「人が足らなくて困っているんだよ…」 と言われるかと思いきや、決してそんなことはなく、返ってきた答えは 「むしろチャンスが来たと思っている」 との回答でした。 その理由を聞くと、 「これまでは値上げ要求なんてほとんど無理だったけど、24年問題がメディアでクローズアップされたおかげで要求に応じてくれる空気になった。取引先もこのままではまずいと思ったんでしょう」 なるほど! 私はこの話を聞いた時、 「これこそがメディアの役割ではないか!」 と感じました。 最近は何かと「マスゴミ」など、たたかれがちなメディアですが(特に大手)、 24年問題について〝騒ぐ〟ことで、何とかしなければ!という空気を作り、誰かを助けているではないですか! やはり誰しも社会にとって大きな問題があったとしても、それが身近になければ真剣に考えません。 そうした、問題と興味がない大多数の人々を結び付けるのがメディアの力です。 このような「自分たちの役割」を再認識することができれば、メディアももっと成長していくのではないかと思います。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 人気ブログランキングに参加しています。ぜひクリックをお願いいたします。 社会・経済ランキング にほんブログ村 【X】 https://twitter.com/eskun8911nok   

英語教育への違和感~一にも二にも、まずは日本語教育を~

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先日、電車に乗っていた時、こんな会話が漏れ聞こえてきました。 「英会話教室の体験イベントに付き合いで子どもと旦那を連れて行ったとき、帰ろうと思ったら営業?セールスマンの勧誘がとにかくしつこかった…」 なるほど、これは押し切られて契約したのかな?と思っていると…。 「営業マンが『これからは英語の時代。幼少期から英会話教室に通うなんて普通ですよ!』なんて言葉でグイグイ来たけど、旦那が一言『日本語もままならないうちに英語を学ぶなんておかしい。うちの子にはまず日本語をしっかり学んでもらうつもりなので結構です』と伝えたら、あきらめてその営業マンは離れていった笑」 なんて痛快な返しかつ、的を射た考え方(私的に)でしょうか。。 私もまずは日本語を学ぶのが大切だと思います。 数学者の藤原正彦氏も 「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」 と話しています。↓↓ https://www.chichi.co.jp/web/20220705_hujiwara_masahiko/ 数学者がですよ? 考えてみたら当たり前のような気がします。 だって、数学に限らずですが、学校で習うあらゆる科目の問題文は日本語で書かれているのですから。 日本語を学ぶということは、学問の基礎を鍛えるということであり、自分以外の人(家族も含めてすべての他人)と自分をつなぐものです。 だって、日本語が通じなければ他人と連携・協力することなんてできないのですから。 かつて、アジアを植民地支配した欧米列強は、被支配国の言語を奪い(母国語の使用を禁止)、連携することを防いでいたことからもよくわかりますね。 あれ?幼少期からの英語教育を鼻息荒く進めて、母国語を躍起になって捨てている島国が極東にありませんでしたっけ? まぁ、その国は植民地になりたいんでしょうね。哀れ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 人気ブログランキングに参加しています。ぜひクリックをお願いいたします。 社会・経済ランキング にほんブログ村 【X】 https://twitter.com/eskun8911nok  

本当の豊かさと政治が守るべきものとは?~尾道の街並みが醸し出す雰囲気から考える~

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※おことわり 今回の投稿は経済成長を否定するものではありません。むしろ成長を志向するものです。 先日、広島県の尾道市を訪れました。 昔から、この街が醸し出すレトロで温かい雰囲気が好きです。 レトロはともかく、なぜこの街からはどことなく温かい雰囲気を感じるのでしょうか? それは、全くの私見ではありますが、この街では小規模でありながらもいわゆる「地元の商店」がいきいきと営業を続けているからではないでしょうか? 尾道市の商店街には、居酒屋、カフェ・喫茶店、ラーメン屋、アパレル店、靴屋、クリーニング店…などなど、ほとんどすべてがチェーン店ではなく、恐らく昔から営業を続けてきたであろう、地元の方が経営している店舗が並んでいます。 チェーン店はコンビニくらいでしょうか?(言い過ぎかも知れませんが…) 画一的ではない各店舗独自のつくりと、店舗の歴史の長さ(古さ)が相まって、温かい雰囲気を醸し出しているのではないかと感じます。 彼らは決して大儲けをしているわけではないと思います。 ただ、地元住民が必要とする生活サービスをきっちりと提供し続け、彼らも生業を続けられる程度には売り上げを上げていく。 これが血の通った、人間らしい経済ではないかと思います。 そしてこの街を歩いて(何度目だろうか?)感じたのは、 こうした街や雰囲気こそ、政治が守るべきではないか、ということです。 昨今は消費税増税(インボイス制度導入)に、社会保険料の引き上げ、補助金の縮小・廃止など、小規模事業者、庶民を追い込む政策ばかりが進められています。 価値観は多様であるべきですが、政治家の先生方にはぜひともこの尾道の街を歩いてもらい、自分たちは何を守るべきなのかについて、今一度考え直してほしいものです。 おまけ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 人気ブログランキングに参加しています。ぜひクリックをお願いいたします。 社会・経済ランキング にほんブログ村 【X】 https://twitter.com/eskun8911nok  

結婚支援では少子化は改善しない~なぜエリート(と言われる人)が頓珍漢な政策を主張するのか?~

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以前、「出会いの場を増やすために、同窓会の開催を支援します!」なんて奇妙な政策を打ち出し、全国から注目を集めた(集めてしまった?)岡山県の伊原木知事。 やはり、結婚支援に向けて並々ならぬ熱意で取り組む方針のようです。 「少子化対策ほど20年後30年後の景色を変えるものはない」全国知事会で子育て支援・少子化対策について意見交換【岡山】 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/1166473?display=1 少子化対策などについて全国の知事などが意見を交わすWEB会議が開かれ、岡山県の伊原木知事が、今後、結婚支援をいっそう進めていく考えを示しました。 (後略) その熱意は素晴らしいと思います。 ですが、その方向性はどうでしょうか…。 伊原木知事が息を巻くのは出会いの場を増やすこと。 つまり、若者が結婚しないのは出会いがないからだと考えているんですね。 果たしてそうでしょうか? 【出生数75.8万人の衝撃】日本人がいなくなる!?森永康平氏「岸田首相の政策は的外れ、今すぐ減税・積極財政を」 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79497 上記の記事で紹介されていますが、2021年の出生動向基本調査によれば「いずれ結婚するつもり」と考えている18〜34歳において男性は81.4%、女性は84.3%おり、結婚願望は広く多くの人が持っているのです。 その一方で、なぜ結婚に踏み切れないのかと言えば、①所得が上がらない・不安定だ、②税負担が重い、というのが理由です。 これを踏まえれば、打つべき政策は明確。 「財政拡大による所得創出と減税」です。 こんなこと、政治・経済素人の私でもわかります。 でも、知事に就くような優秀な頭脳を持つエリートでも、それに気が付かずに的外れな政策を実施する。 なぜでしょうか…? 恐らく、我々と生活空間が違うゆえに、大多数の人たちと認識のずれが生じてしまうのでしょう。 伊原木知事らエリートにとって、所得が低すぎて結婚できない、なんて考えも及ばないのだと思います。 そうした大多数とのずれを持った人が世の中を動かすような中枢を担い続ける限り、我が国の衰退は止まらないと思います。 言論で、今の流れを変えましょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――...

映画「226」を鑑賞~青年将校たちが実現したかった日本とは?~

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先日、某配信サイトで映画「226」を鑑賞しました。 内容は、タイトルの通り1936年2月26日に発生したクーデター未遂事件である「226事件」を陸軍の青年将校側から描いた作品です。 詳しい映画の評論は専門家に譲りますが、特に印象に残ったのは、クーデターを首謀した将校たちにもそれぞれ家庭という帰る場所・守るものがあり、それでも日本の将来を思い、立ち上がったということが丹念に描かれていることです。 将校たちは、当時相次ぐ恐慌で経済が疲弊し、困窮に追い込まれていた地方を救ってくれない当時の政府、政治家に不信感を募らせ、最終的には殺害という暴力で訴えることになりました。 当然のことながら、彼らの行動を正当化することはできません。 日本は当時も今も民主主義の国。拳や剣ではなく言論で闘わなければなりません。 その一方で私が感じるのは、 彼ら青年将校らは真剣に日本を憂いていたからこそ、家庭をかなぐり捨ててでも決起したのだということです。その方法が間違っていただけで。 今の時代、彼らのように真剣に考えている日本人がどれだけいるでしょうか…? 「田中角栄 100の言葉」という本に書かれていましたが、田中角栄元首相は1960年代、70年代にかけて盛り上がりを見せていた学生運動に対して、「学生運動を繰り広げる若者たちがいる。経験が浅く視野が狭いがまじめに祖国の先行きを考え心配している。若者はあれでいい」という旨の発言をしています。 この考え方は、私は正しいと思います。 あくまで感覚でしかありませんが、1930年代当時よりも日本のことを真剣に考える人が減った今、日本が良い方向に向かっているとは到底思えないのです。 ご興味のある方は、ぜひ一度本映画を視聴してみてください。 キャストの1人、本木雅弘氏は当時某事務所を辞めたばかりということもあり、制作陣に起用するなと圧力がかかったが、それに抗い起用した、なんて逸話もあるそうです。 「映画.com 226」 https://eiga.com/movie/38385/ 解説 昭和11年2月26日に皇道派の青年将校が決起し、元老、重臣らを襲った二・二六事件を描く。原作・脚本は「肉体の門(1988)」の笠原和夫、監督は同作の五社英雄、撮影は同作の森田富士郎がそれぞれ担当。 1989年製作/114分/日本 配給:松竹富士 劇場公開日:1989年6月17日...

本当の〝スマート農業〟ってなんだ?~実践経験から導き出されるものがヒントに!?~

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今回もまた、農業にまつわる話題。 先日、仕事でとある大学教授ととある会社の役員の方と話す機会がありました。 その際に話題になったのが、自身の農業(米・野菜作り)の取り組みについての苦労話。 特に役員の方は毎年米作りの季節になると、実家の農業を本格的に手伝っているそうで、「●●が大変…」という話題をかなり緊迫感を持ってお話しされていました。 そこで、大学教授が農学系の研究者であることもあり、「スマート農業」の話題に。 私はてっきり、その大学教授が「とは言っても、最近の研究や技術革新はすごくて、これだけ便利で生産性が上がる機材が登場しているんですよ!」と言うのかと思いきや、全くそうではありませんでした。 「スマート農業の呼び声はいいけど、それに向けた政府の方針や予算のつけ方は間違っている」 少し驚きつつ、続けて話を聞いていると「トラクターの自動運転を実現!なんて言っているが、現場は喜んでいない。だって、トラクターの運転って農業をする人にとって、そこまで負担のかかる作業じゃないもの」とのこと。 そこですかさず同席していた役員の方が、「そうなんです。もっと辛いのは水路を維持・管理するための溝掃除!そこを自動化してくれた方がいくらか助かる」 そしてお2人は口をそろえて言いました。 「政府も官僚も現場が見えていない、見ようとしていないからこういうことになるんだろうなぁ」 確かに、「スマート農業」と銘打ち、予算をつけて何らかのアクションを起こそうとしていることは素晴らしいことだと思います。 ただ、やはり現場が見えていないと、実践を踏まえていないと、どこか的外れな動きになってしまう。 「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、身につまされる思いがした出来事でした。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 人気ブログランキングに参加しています。ぜひクリックをお願いいたします。 社会・経済ランキング にほんブログ村 【ツイッター】 https://twitter.com/eskun8911nok

「ジャパンアズナンバーワン」から日本の強みを学ぶ~中間組織の復活が日本の復活~

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私の父(60代後半)が以前、原子力発電所の再稼働方針が電力会社によって示されたことで、その原発が設置されている自治体の住民が、その方針を認める・認めないの議論で揺れているニュースを見た際、こう言いました。 「住民たちは再稼働の是非について、電力会社や政治家にデモのような形で意見をぶつけるんじゃなくて、まずは町内会などの組織でじっくりと話し合って、ある程度意見をまとめたうえで交渉しないと前には進まない」 私もそう思います。電力会社や政治家など、権力を持った大規模な組織に対して、個々人が個別で意見をぶつけたところで、かないっこありません。というか、無視されるだけです。 何かを実現したり意見を通したければ、私の父が言ったように、町内会などの「中間組織」で十分に議論を重ね、意見を集約しなければなりません。 こうした「中間組織」が日本の強みであることなどが書かれた書籍 「ジャパンアズナンバーワン」 をこの間、初めて読みました。 かつての日本では、各種の業界団体(●●組合、●●事業社連合会、農協、労働組合など)が現在よりも活発に活動していました。 なかなか結論は出ないものの、そこで議論が繰り返され、集約されたものが政治家に届けられ、政策が実現されていく、という流れがあったわけです。この流れこそが日本の強みの源泉だとこの書籍では主張されているのです。 「なかなか結論が出ないなんて、だめだよ。めんどくさい」と感じる人もいると思います。確かにそれは事実でしょう。しかし、結論がすぐに出て実施された政策よりも、だらだらと議論を続けたうえで決まり、実施された政策の方がまだマシなのではないか?と私は思います。 これは、ここ30年間上記の中間組織を「構造改革」の名のもとに壊し、「だらだらと議論するのではなく、トップダウンで決めるんだ!」との方針で決められ、実施されてきた政策とその結果を見たらあきらかでしょう。 また、なぜ現在の政治家は国民の減税を求める声を無視し、緊縮財政を続け国民生活を壊し続けるのか?それは中間団体が破壊され、意見が集約される機会がなくなり、政治家に国民の声が届きづらくなってしまったからなのです。 「生活が苦しい、何とかしてくれ!」 そう思っており、その声を政治に何とか届けたい、と考えているのであれば、中間組織に属し(作り)、しがらみに苦しみながらもそこで意見を出し、まとめて...