ノーベル経済学賞の茶番──“本物のノーベル賞”とは関係のない作られた栄誉
毎年秋になると話題になる「ノーベル経済学賞」。
日本でも「経済学者が世界で認められた!」という報道が繰り返されますが、実はこの賞、“本来のノーベル賞ではない”ということをご存じでしょうか。
その背景を知ると、ノーベル経済学賞の「茶番ぶり」と「政治的性格」が浮かび上がってきます。
■ ノーベル経済学賞はアルフレッド・ノーベルの遺志とは無関係
まず最初に指摘しておきたいのは、ノーベル経済学賞は「正式なノーベル賞」ではないという点です。
これは単なる陰謀論でも揚げ足取りでもなく、事実です。
ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルが遺言によって創設した本来の賞は次の5つだけです。
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物理学賞
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化学賞
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医学・生理学賞
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文学賞
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平和賞
これに「経済学賞」が含まれていないのは、ノーベル自身が経済学という学問の“恣意性”や“政治的利用”を嫌っていたからだとされています。
■ 経済学賞は「スウェーデン国立銀行」が勝手に作った賞
ではなぜ経済学賞が存在するのか。
その答えは1968年、スウェーデン国立銀行(リクスバンク)が自らの創立300周年を記念して創設したことにあります。
つまり、正式名称は
「アルフレッド・ノーベル記念 スウェーデン国立銀行経済学賞」
なのです。
ノーベル財団の管理下に“便宜上”置かれていますが、ノーベル本人の遺産や遺志とは無関係。
本来のノーベル賞に“寄生”した形で作られた後付けの賞にすぎません。
■ 政治と金融資本が見え隠れする選考構造
さらに問題なのは、この経済学賞が中立的な学術評価に基づいていないという点です。
多くの受賞者はアメリカの名門大学(ハーバード、シカゴ、MITなど)に集中しており、その背後には国際金融資本や新自由主義的経済思想の正当化が見え隠れします。
たとえば1980年代以降は、「市場原理」「グローバル化」「規制緩和」を称賛する理論を展開した学者が次々と受賞。
しかしその理論が現実経済に与えた影響──貧富の格差拡大、金融危機の連鎖──については一切の反省がありません。
つまりノーベル経済学賞は、金融資本主義の理論的免罪符として機能してきた側面があるのです。
■ 経済は「科学」ではなく「価値判断の学問」である
そもそも、経済学を「ノーベル賞の対象」とすること自体が不自然です。
物理学や化学のように再現性のある実験で証明できるわけではなく、経済は社会や価値観に左右される“政治的学問”だからです。
たとえば「どのような社会が望ましいのか」という問いに対して、数式やモデルだけで答えを出すことは不可能です。
それにもかかわらず、ノーベル経済学賞は“科学的装い”をまとい、あたかも経済理論が客観的真理であるかのように演出してきました。
これこそが「茶番」と言われる所以です。
■ ノーベル賞ブランドの“権威商法”
スウェーデン国立銀行がなぜここまでしてノーベルの名を利用したのか。
それは明白で、「ノーベル賞」というブランドの持つ世界的権威を借りたかったからです。
経済学賞という看板が付くだけで、受賞理論はメディアで絶賛され、教科書に載り、各国の政策の根拠として使われる。
その“権威の連鎖”が作り出すのは、学問の健全な発展ではなく、金融と政治の支配構造の正当化です。
■ 本当の「ノーベル精神」とは
アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトという「破壊の技術」で得た富を、人類の平和と進歩のために還元したいという思いから賞を設立しました。
そこには「人間の幸福」や「良心」に対する深い関心があった。
それに対し、ノーベル経済学賞は、人間よりも市場を、倫理よりも効率を重んじる理論を称える場に成り下がっています。
まさに、ノーベルの理想を裏切る存在と言わざるを得ません。
■ 結論:ノーベル経済学賞の“権威”に惑わされるな
「ノーベル賞受賞=真理」ではありません。
特に経済学賞の場合は、政治的・金融的思惑に満ちた“偽りの権威”であることを理解しておくべきです。
華やかな授賞式の裏には、
・ノーベル財団とは無関係な創設経緯
・新自由主義の理論的支柱としての役割
・メディアによる一方的な礼賛
といった構造が隠れています。
「ノーベル経済学賞」という言葉に惑わされず、
どんな理論が誰にとって都合がいいのか──その視点こそ、今の時代に求められる“本当の経済リテラシー”です。
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