公明党との連立はなぜ「毒まんじゅう」と呼ばれるのか―自公連立の崩壊を機に考えてみる。
自公連立が崩壊した今となっては、という話だが、公明党との連立は「毒まんじゅう」という表現が使われることがある。
「毒まんじゅう」とは、一見すると甘くおいしそうだが、食べれば命取り――つまり、「表向きは得に見えても、長期的には致命的な害をもたらす提携」や「魂を売る取引」を指す。
そして、まさにその象徴が 自民党と公明党の連立関係 だといわれている。
■ 1. 公明党という“選挙マシン”の魔力
自民党にとって、公明党は長年にわたる「選挙の生命線」だ。
学会組織を基盤にした公明党は、全国津々浦々にまで浸透した組織票を持ち、選挙ごとに自民党候補を支えてきた。
地方区や接戦区では、この公明票が「勝敗を左右する決定打」となることも珍しくない。
そのため、自民党の議員たちは公明党との関係を切ることができない。
「毒まんじゅう」とはつまり、この“票の甘味”に依存してしまった状態を指す。
■ 2. 政策の主導権が奪われる副作用
だが、このまんじゅうには明確な“毒”がある。
選挙支援と引き換えに、公明党は政策面で強い影響力を持つようになった。
たとえば――
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経済対策としての現金給付
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防衛政策の制約(集団的自衛権の限定容認)
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対外国人政策(主に、規制を緩くする面において)
など、本来は自民党が主導すべき政策が、公明党の顔色をうかがう形で調整されてきた。
つまり、自民党が政権与党でありながら、政策のブレーキを握られているのである。
■ 3. 国民のための政治ではなく“連立のための政治”へ
この構図の最も深刻な問題は、政治の目的が「国民のため」ではなく「連立維持のため」になってしまうことだ。
経済対策、外交、安全保障――どの議題でも、自民党がまず気にするのは「公明党が反対しないかどうか」。
結果として、政策は中途半端な妥協の産物となり、国家としての方向性が曖昧になる。
これが「毒まんじゅう」の真の意味だ。
最初は少しの譲歩だったはずが、いつのまにか主導権そのものを奪われてしまう。
■ 4. 公明党にとっても“毒”になりつつある
一方、公明党にとっても、この連立は両刃の剣だ。
本来「庶民の味方」を掲げてきた公明党が、自民党と肩を並べて政権を支えることで、庶民感覚とかけ離れた政策にも責任を負うようになった。
その結果、支持母体である創価学会員の中からも「本当にこれでいいのか」という声が上がり始めている。
つまり、自公連立は双方にとって“毒まんじゅう”になってしまっていたのだ。
だから、今回連立離脱という結末を迎えたともいえよう。
■ 5. 結論──“政権安定”という名の中毒症
連立というまんじゅうを食べた自民党は、たしかに短期的には安定を得た。
しかしその代償として、自らの政策力を鈍らせ、政治の主体性を失ってしまった。
いまや、自民党はこの「毒まんじゅう」なしには選挙を戦えない体質になっている。
だからこそ、選挙に弱い自民党議員はいま連立離脱について騒いでいるのだ。
ただ政権の安定とは、本来、国民生活を守るためにある。
だが、自公連立は「安定のための安定」、つまり権力維持のための共依存関係に過ぎなかったのだ。
毒まんじゅうを飲み込み続けた政権に、真の改革など起こせるはずがない。
そういう意味で、今回の連立離脱は日本国民にとって良かったと言えると思います。
地力のない自民党の議員先生は大変でしょうが…。
そこは、これからは公明党ではなく地元の有権者の方を見ていただいて、、
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