一時は「第三極」として脚光を浴びた日本維新の会。だが、最近ではその勢いに陰りが見え、支持もじわじわと失われつつある。
その焦りからか、維新は自民党・公明党との連立入りを模索しているとささやかれている。
しかし、この動きは単なる政局の話ではない。そこには、維新という政党の幼稚さと政策の薄っぺらさ、さらには有権者をだます詐欺的手法が透けて見えるのだ。
焦りの背景──失われつつある支持
維新は「改革」「身を切る」といったキャッチーなフレーズで支持を集めてきた。
だが、その実績はどうか。大阪では教育・医療・福祉の削減、公共サービスの民営化が進み、「市民生活の質が低下した」という声が絶えない。
その実態が広く知られるにつれ、有権者の支持は徐々に離れていった。
そしていま、維新は“生き残り”をかけて自民・公明との連立に活路を見出そうとしているのだ。
幼稚な連立模索
連立入りの狙いは明白だ。
「自力では政権を取れない。ならば権力にすり寄るしかない」──その程度の発想である。
これは、政党としての独自性や理念を放棄し、ただ権力にぶら下がろうとする幼稚な姿勢に他ならない。
「改革」を唱えてきた政党が、結局は既存の権力に迎合する──この矛盾こそ、維新の正体を如実に物語っている。
薄っぺらい政策と詐欺的手法
維新の政策は、耳ざわりの良いスローガンばかりだ。
「身を切る改革」「既得権益の打破」──だがその中身を見れば、社会保障削減や民営化推進といった“負担の押し付け”ばかり。
しかも、その説明は詐欺的とさえ言える。
「効率化」と言えば聞こえはいいが、実際には住民サービスの切り捨て。
「財政健全化」と言えば聞こえはいいが、実際には国民への増税と給付削減。
キャッチコピーで国民を酔わせ、実態は冷酷な緊縮政策──これを「改革」と呼ぶのは、まさに詐欺的手法だろう。
連立が意味するもの
もし維新が自民・公明との連立に加わればどうなるか。
緊縮財政はさらに加速し、社会保障は切り捨てられ、地方格差は拡大するだろう。
そして何より、国民にとっての最大の不幸は、「改革の旗手」として期待された維新が、結局は“権力の補完勢力”にすぎなかったことが白日の下にさらされることだ。
結論──「焦りの政治」に未来はない
維新の連立模索は、支持を失った政党の焦りと幼稚さの表れである。
その政策は薄っぺらく、説明は詐欺的であり、国民生活を改善するどころかむしろ悪化させる危険をはらむ。
「改革」という看板に騙される時代は、もう終わりにしなければならない。
いま必要なのは、焦りやごまかしではなく、国民の生活を真正面から支える誠実な政治である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
0 件のコメント:
コメントを投稿