ポピュリズムは悪なのか?──国民民主党・参政党が示す“生活感覚政治”の可能性

 





「ポピュリズム」と聞くと、多くの方が眉をひそめるのではないでしょうか。 扇動的、過激、反知性──そんなイメージが先行していますが、本当にそれは“悪”なのでしょうか。


2025年の参院選では、国民民主党と参政党が大きな支持を集めました。 この現象を「感情論」や「一時的な熱狂」と見なすのは、あまりに表面的です。 むしろ、両党の台頭は“生活感覚に寄り添う政治”として再評価する必要があるのではないかと思います。



「暮らし」に根ざした政治が支持された理由

今回の選挙結果を見る限り、抽象的な理念よりも、生活に密接した政策に支持が集まっていることがわかります。


  • 国民民主党:「対決より解決」「現実的な財政再建」

  • 参政党:「子どもを守る」「食の安全」「日本人ファースト」


これらのメッセージは、感情的というよりも“生活に根ざした声”に近いものです。 現実に対する違和感や、未来への不安に寄り添う姿勢──それは「生活感覚政治」と呼べるかもしれません。



「置いてけぼり感」が生んだ政治参加の欲求

世界調査会社イプソスによると、「自国は衰退している」と感じている日本人は70%にのぼり、 「既存政党は自分のような人間を気にかけていない」と感じる人も68%に達しています。


このような“置いてけぼり感”こそが、既存政党への不信感を高め、 「私の声を拾ってくれる政党」に対する期待につながっているのではないでしょうか。



ポピュリズムの再定義と可能性

一般にポピュリズムとは、大衆の不満を代弁し、敵を明確にする政治手法とされています。 たしかに分断を生むリスクはありますが、それと同時に、可視化されなかった声を社会の表に出す力もあります。


重要なのは「誰が、どのように代弁するか」です。 そして、どのような言葉で社会と繋げていくのか──そこに政治の責任があると言えるでしょう。



国民民主党・参政党の共通点と違い





両党とも、生活者の“実感”に寄り添っているという点では共通しています。 異なるアプローチながら、それぞれが不安や違和感に形を与えているのです。



結論:「共感の言語」としてのポピュリズム

ポピュリズムを“悪”と断じる前に、その背景にある「暮らしの声」に目を向けてみませんか。


国民民主党・参政党の躍進は、政治が“暮らし”に近づいた証なのかもしれません。 感情に寄り添う政治は、必ずしも分断をもたらすものではなく、 むしろ「共感」という新たなつながりを築く可能性を持っているのではないでしょうか。


政治を“私たちのもの”として取り戻すためにも、 この新しい政治のかたちに耳を傾けてみる価値はあるように思います。




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