先日、経済評論家・三橋貴明さんのYouTubeチャンネルに、
経済学の存在意義に疑問を感じざるを得ない動画がアップロードされていました。。
(詳しくは以下のリンクから)
「人口減少=経済成長しない」という大嘘〜経済学者の間でなぜか議論されない経済成長に必要な3つの要素[三橋TV第906回]三橋貴明・saya
https://www.youtube.com/watch?v=nNX7gMtWyEE
この動画で解説されていたのは、「経済学は、経済成長とは何であるかをきちんと説明できない学問」ということです。
どういうことかというと、
三橋さんによれば、経済成長は生産性の向上によってもたらされるもの、ということです。
その生産性の向上は、4つの投資(公共投資、設備投資、技術開発投資、人材投資)を行うことでしか起きない、というのです。
しかし問題なのは、その投資を行うことでそれがどれだけ生産性を高めるかについては、
事前に誰もわからない、ということです。
確かに、例えば工場に設備投資をしたとしても、それを使う人の能力や練度・経験などで生産性がどれくらい高まるかは変わりますもんね…。
もしかしたら、最初は生産性がそこまで高まらなかったとしても、何らかのタイミングで設備の使用者がコツをつかみ、一気に生産性が高まる、ということも十分に考えられますし。
ただ、経済学者はその生産性に関する不確定な要素をできるだけ排除したいと考える人種なんです。
なぜなら、そうしないと経済学を学問として体系化できないからです。。
だからこそ、経済学者は経済成長を人口の増加、すなわち働き手の増加と結びつけようとするんです。。
例の、「人口ボーナス論」というよくわからないやつですね…。
こうしたことを考えると、
果たして、経済学に存在意義ってあるんでしょうかね…。
経済学は経済成長の仕組みを説明できない?
指導者を選ぶ難しさ~選挙をすることがすべて正しいわけではない!?~
先日のエントリーとも関連するのですが、
「指導者には徳が必要!?~指導者は仕事ができる!だけでは務まらない~」
https://eskunsf.blogspot.com/2024/09/blog-post_14.html
やはり、指導者は一定程度の特別な地位(旧華族、貴族院など)にある人物が務めるのも一つのやり方ではないか?と感じざるを得ないことがありました。
以下の動画で初めて知ったことなのですが、
戦前に日本の首相を務めた衆議院所属の政治家はわずかに3人だったようです。
【緊急インタビュー】青山繁晴×藤井聡〜青山議員は今何を語るのか?
https://www.youtube.com/watch?v=BMcDrNswxgM&t=3s
世界における、日本およびアジアの地位が今よりも著しく低く、厳しい時代を指導した首相のほとんどが貴族院の出身だったことに驚きました…。
貴族院って、上流階級のための名目的なポジションだと思っていました…不勉強で恥ずかしくなりますね。。
別に、戦前の日本が素晴らしいという気は毛頭ないですが、厳しい時代を乗り切るには、やはり選挙を経た政治家ばかりではなく、
選挙とは離れた、かつ高いエリート意識のもとで自らを律することができる真の上流階級が指導者になるルートも残しておく(あるいは復活させる)必要がるのではないでしょうか?
選挙って、やはりその候補者を間近に見ることはほとんど不可能であり、
そうである以上、その人物像を正確に把握することはほぼ無理ですからね…。
であれば、いっそのこと恐らく徳と品位と能力を持っている(と想定される)上流階級の力を借りる必要があると感じざるを得ません。
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日々の平凡な暮らしこそ美しく、楽しい!
先日、兵庫県西宮市で開かれている、
LINEの人気スタンプ「ねこぺん日和」の原画展に行きました。
詳細HP→https://linefriends.co.jp/nekopen/news/5V0vh9Xb
原画展と言っても、原画はそれほど置かれていなかったのですが、
まあとにかくかわいいこと…、癒されること…、
その可愛さはともかく、少し気になるメッセージが書かれていました。
なんと、重みのある言葉でしょうか笑
人生は一瞬の積み重ねであり、
一見平凡に思える日々の暮らしが実はこの上もない幸せである。
そんなメッセージが込められているように思います。
これで、また明日からも頑張れそうです。
まさか、ねこぺんコンビからこんな学びを得るとは笑!!
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指導者には徳が必要!?~指導者は仕事ができる!だけでは務まらない~

先日、「保守思想誌」を掲げる表現者クライテリオンという雑誌を読みました。
この最新号のテーマは「指導者の条件」。
指導者たるものは仕事の能力に加えて、〝徳〟や〝品格〟が必要なのでは?ということについて、さまざまな論考が書かれています。
詳しい内容はぜひ本書を手に取って読んでいただきたいのですが、指導者に徳をもってほしいと思う人は多いのではないでしょうか?
職場の上司、経営陣、学校の先生、部活のコーチなど、身近に「指導者」がたくさんいるかと思いますが、その中のどれほどの人が徳をもっているでしょうか…?
この書籍を読み感じたのは、「確かに指導者に徳は必要だと思うけど、それを学ぶ場所や機会ってほとんどないのでは?」ということです。
恐らく、かつての日本の指導者たち(近代以降に限ったとして、明治から大正にかけて)は、いわゆる一般の家庭出身ではなく、そもそも生まれてからエリートの家系の方々ばかりでした。
彼らはエリートなりに、徳について学ぶ機会に恵まれていたはずなのです。
それこそ「自分たちはエリートなのだから、徳を身に着けて民を指導するのが役目であり責任ですらある」と考えていたはずです。
傲慢なエリート主義、と言えばその通りですが、そのエリート主義が徳を身に着けた指導者を生むための土壌になっていたともいえるのです。
今の政治・経済で中枢にいる方々はどうでしょうか?
エリート主義だけは持ちつつ、徳のかけらもないように思えてなりません。(中には徳の高い人もいるとは思いますが…)
そう考えると、あながち一定の生まれながらに特別な地位にある方々(例えば、旧・華族など)を完全に政治の表舞台から排除(例えば戦後の貴族院の廃止など)したのはよくなかったのでは?と思わざるを得ません。
責任感を持ち、自らを律して徳を身に着けるための訓練をいとわない真のエリート。。
そんな人物・人材がいた時代はもう取り戻せないかもしれませんね。。
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日本政治のゆがみの淵源とは?~なぜ日本では、いわゆる保守派がアメリカに媚びるのか?~
少し真面目で固い話題を。。
日本の政治を見た際に、違和感を感じることがありませんか…?
なぜ、いわゆる「保守」と呼ばれる方々・勢力がアメリカに媚びるのか、です。
保守とは、「保ち、守る」という言葉の通り、日本の伝統や文化を守り、古くなったものは少しずつ変えていくというものだと思います。
とすると、日本の伝統や文化を守るために、外国には一定程度の距離感を持つというか、緊張感をもって接するように思います。
少なくとも、媚びを売るというのは考えられません。
であれば、なぜ日本の保守と呼ばれる方々には親アメリカが多いのか…?
その歪みの淵源について、最近読んだ「敗北を抱きしめて(上)」という本から感じました。
この本は、アメリカ人の立場から、
敗戦後の日本とアメリカの占領政策をまとめた書籍なのですが、その中で1947年に起きた「二・一ゼネスト中止」について書かれていました。
この出来事はざっくりというと、戦後間もないころ、左翼勢力が大規模な労働争議を画策したものの、当時の支配者であるGHQが力ずくで止めた、というものです。
本の中で、この動きで指導者の役割を果たした「伊井弥四郎」という人物が、
GHQからの中止指令を受け、「なぜ、我々の邪魔をするのか?日本はアメリカの奴隷ではない!」と反発したエピソードが記されています。
左翼勢力の伊井氏が、ですよ…!
本来であれば、保守がそうした主張をするのが普通ですが…。
なぜ、伊井氏がこうした発言をしたのか?
それは、当初は日本の民主化を目指し、戦前の日本の保守派を排除してきたGHQが、
それこそ民衆の声のもとに実行しようとした労働争議を中止させたからです。
ここに、アメリカ(GHQ)の身勝手さと、日本政治の歪みの淵源があると思うのです。
ゼネスト中止を受けて、左翼勢力と対峙する当時の日本の保守派(戦前から続く権力者側の方々)は勢いづきます。
なぜなら、これまで自分たちを排除してきたアメリカ(GHQ)が自分たちの味方をしてきたからです。
であれば、保守派からしてみれば権力の座に戻るまたとないチャンス!ととらえ、アメリカ側にすり寄ることになります。
媚びることさえ厭うことなく…。
こうした流れを受け、権力を再び手にした日本の保守派はアメリカに引き続き媚びを売りながらそれを維持していく。
そのため、こと日本の保守派は奇妙なことに外国に媚びへつらう奇妙な形が続いているのだと思います。
アメリカに振り回された、という気もしますが、
アメリカからしてみればそんなことは知ったこっちゃない、というものでしょう。
であれば、私たちが政治について真剣に考え、
本当の保守を取り戻すための闘いを進めていかなければなりません。
道のりは果てしなく遠いですが、
できることから地道に取り組みましょう。
坂の上の雲ミュージアム@愛媛県松山市へ~当時の日本人と現代の日本人の違いとは!?~
先日、愛媛県・松山市にある、坂の上の雲ミュージアムに行きました。
「坂の上の雲」とは、司馬遼太郎氏原作の小説で、松山市出身の3人の男たちを主人公に、日露戦争の勝利するまでの日本を描いた青春群像劇です。
NHKでドラマ化されましたが、どうやら9月8日から再放送されるようです。
https://www.nhk.jp/p/ts/X7PG14YX57/
それはさておき、冒頭の写真にもあるように、
本ミュージアムは日露戦争で活躍した戦艦三笠の模型が展示されているなど、見ごたえのある施設になっています。
近代日本がいかに苦心しながら近代国家を築いていったか、築かざるを得なかったかを感じる施設です。
興味のある方はぜひ現地に行ってみてほしいのですが、
これほどまでに明治時代の日本人たちの底ヂカラを見せつけられると、ふと疑問が浮かんできます。
「現代の日本人と彼らは何が違うのだろうか?」
恐らく、能力に違いはありません。
150年程度で人間の能力に差が出るとは思えませんから。
では、その違いは何でしょうか?
恐らく、明治時代の多くの日本人が「何が何でも近代国家を目指すんだ!」という大きな目標を共有していたことが大きいのではないかと思います。
何か共通の目標をもち、そこに協力しながら突き進む。
こういうのが日本人は得意なのだと思います。
一方で、現代の私たちはどうか?
一定程度の経済成長と豊かさは達成され(それも今は危ういですが…)、
目指すべき目標がなく、漂流している。。
再び、先人たちのような気概を取り戻すには、
政治が夢や目標をもっと国民に語るべきではないでしょうか。
なんとなく、そんなことを感じた愛媛滞在でした…。
愛媛県松山市にしかない!?カフェ〝アマンダコーヒー〟を訪問
何やら、四国・愛媛県松山市にしかないカフェがあるらしく、
先日松山市を訪問した際に立ち寄ってみました!
その名も、〝アマンダコーヒー〟
なるほど、確かにホームページを見ると、
店舗は松山市内に3か所あるのみのようですね。
→http://amandacoffees.com/
朝だったため、モーニングセットを頼みました。
アイスコーヒーとフレンチトーストで…、498円(税込)なり!
味は…。まあ普通かなと。
決して安くはないですが、物価高の昨今を考えれば優しい方かと…。
他県では味わえないものですので、松山に足を運んだ際は訪れてみて下さい。
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