指導者には徳が必要!?~指導者は仕事ができる!だけでは務まらない~
先日、「保守思想誌」を掲げる表現者クライテリオンという雑誌を読みました。
この最新号のテーマは「指導者の条件」。
指導者たるものは仕事の能力に加えて、〝徳〟や〝品格〟が必要なのでは?ということについて、さまざまな論考が書かれています。
詳しい内容はぜひ本書を手に取って読んでいただきたいのですが、指導者に徳をもってほしいと思う人は多いのではないでしょうか?
職場の上司、経営陣、学校の先生、部活のコーチなど、身近に「指導者」がたくさんいるかと思いますが、その中のどれほどの人が徳をもっているでしょうか…?
この書籍を読み感じたのは、「確かに指導者に徳は必要だと思うけど、それを学ぶ場所や機会ってほとんどないのでは?」ということです。
恐らく、かつての日本の指導者たち(近代以降に限ったとして、明治から大正にかけて)は、いわゆる一般の家庭出身ではなく、そもそも生まれてからエリートの家系の方々ばかりでした。
彼らはエリートなりに、徳について学ぶ機会に恵まれていたはずなのです。
それこそ「自分たちはエリートなのだから、徳を身に着けて民を指導するのが役目であり責任ですらある」と考えていたはずです。
傲慢なエリート主義、と言えばその通りですが、そのエリート主義が徳を身に着けた指導者を生むための土壌になっていたともいえるのです。
今の政治・経済で中枢にいる方々はどうでしょうか?
エリート主義だけは持ちつつ、徳のかけらもないように思えてなりません。(中には徳の高い人もいるとは思いますが…)
そう考えると、あながち一定の生まれながらに特別な地位にある方々(例えば、旧・華族など)を完全に政治の表舞台から排除(例えば戦後の貴族院の廃止など)したのはよくなかったのでは?と思わざるを得ません。
責任感を持ち、自らを律して徳を身に着けるための訓練をいとわない真のエリート。。
そんな人物・人材がいた時代はもう取り戻せないかもしれませんね。。
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