映画「オッペンハイマ―」を鑑賞しました。




「原爆の父」を描いた映画「オッペンハイマー」を先日、鑑賞しました。
この映画は当初、世界で唯一の被爆国である日本では公開される予定はなかったそうです。


映画の詳しい考察などはネタバレを防ぐ意味でも、他の方の記事に譲ります。
ただ、私が感じたことを書こうと思います。


そもそも、こうした映画がアメリカで制作されたこと自体に驚きを感じます。
現在の世界の覇権国であるアメリカは、自分がすることはすべて正しいと考えているのではと感じますし、現職の大統領が被爆地の広島市を訪問した(させられた?)際にも、堂々と核攻撃の指令が可能な「核のボタン」を持ちこんでいた※ためです。



※米の核ボタン、平和記念公園にまで持ち込んだのは・・・ 「8分」の核反撃判断に備えるため 広島サミットでバイデン大統領の随行者が携行
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/311698

広島市であった先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、バイデン米大統領の随行者が核攻撃を指令する通信機器などが入った「核のフットボール」とみられるかばんを平和記念公園(中区)に持ち込んだことを巡って、被爆者たちから批判の声が続いている。(後略)



また内容面でも、よく耳にする、原子爆弾の開発・実戦投入が戦争の終結を早め、多くのアメリカ兵の命を救った…なんてアメリカ側の一方的な解釈ではなく、原爆による被害の実態を目にしたオッペンハイマーの苦悩なども描かれているのにも驚かされました。


率直に書くと「当時のアメリカ人にも人の心があったのか…」という思いです。
※もちろん、だからと言って原爆投下という判断が正しいとは思っていません。


原爆を開発しそれを実際に使ったオッペンハイマー及びアメリカの行動は正当化できませんが、ただ、彼らの立場を鑑みた際、「愛する祖国を護るため」と彼らが考えたのであれば、そう行動せざるを得なかった部分もあるのではないか、と感じてしまうのです。


実際、オッペンハイマーは1965年のインタビューで、「私は今になっても、あの時もっと良い道があったと言える自信がない」という趣旨のことを語っています。


オッペンハイマーのインタビュー動画(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=AdtLxlttrHg&t=3s


「祖国に尽くすことしか考えられなかった」という意思が感じられます。
そしてそう考えることでしか、自身の心の平穏を保つことができなかったのでしょう。


また同時に「私たち(科学者)の心は完全に楽になってはいけないと思う」、「私にはよい答えがない」とも話しています。


オッペンハイマーを丁寧に描いた(とされる)今回の映画と、上記のインタビューを見ると、「祖国のためにと最善を尽くした当時の自身の行動に間違いはないと思うが(思いたいが)、あまりにも多くの人々を傷つけてしまった以上、何が正しかったのかを悩み、苦しみ続けなければならない」と彼は感じていたのではないでしょうか。


恐らく当分の間(アメリカの覇権が続く限り)は、これ以上に原子爆弾の開発・投下について踏み込んだ作品が発表されることはないと思います。


そういった意味では、アメリカとして最大限の反核映画なのだと思います。


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